[富士見かるた]め:明治の老農船津翁
原之郷の人、船津伝次平は若くから名主をつとめ、赤城山の植林等に貢献したが、農事改良に熱心なのを認められ、駒場農学校教師、農商務省技師となり、全国を廻って農事改良を普及し、明治の三老農の一人と云われた。明治三十一年六十七歳で歿した。 (村誌 1073,1091)
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アクセス
船津伝次平の墓は、原西地区にある。富士塚十字路を西へ行き、次の信号を左折、800m程度のところに、看板が立っている。
墓は入り口からまっすぐ正面にある。
結構大きな墓地だが、通称「船津墓」と呼ばれ、船津以外の名字の墓はない。